給食は強制なのか?
最近、昆虫食(特にコオロギ)が何かと話題に上っています。徳島県小松島市内の県立高校がコオロギパウダーを使った給食を試食で出したところ、「子供に食べさせるな」といったクレームが相次いでいるようです。
昆虫食(特にコオロギ)については、批判的な意見も多く、給食で出してよいのか?という声も聞こえてきます。
こういった声は、給食が強制である事を前提にしているように思えますが、給食は強制なのでしょうか?
強制でないにしても、食べない自由は事実上無い
給食を食べなければならないという義務が課されているわけではないので強制ではありません。
しかし、実際は、食べない(食べさせない)と言う選択はできないでしょう。
裁判例でも、学校給食について「食べない自由が事実上ない」としたものがあります。学校給食による集団食中毒により児童が死亡した場合の学校設置者の責任の有無が争われた平成11年の裁判例(大阪地方裁判所堺支部平成11年9月10日)ですが、次のように述べている部分があります。
「学校給食は、学校給食法及び学校教育法で定められた目的及び目標を達成するために、学校教育の一環として行われるものであり、当該学校に在学するすべての児童又は生徒に対し実施されるものと規定され、文部省も、学校給食については、全員一律の建前をとっており、堺市においても、アレルギーの児童等を除いては、在学する児童全員に給食を食べることを指導し、また、各小学校を通じて、児童に対し、できるだけすべての給食を食べるように指導していたことなどからすれば、児童としては、昼食として学校給食を喫食する以外に選択の余地は事実上なく(原告らは、これを「強制」と表現する。)、学校から提供された給食を昼食として、その安全性に何らの疑問を抱くことなく喫食していたものということができる。」、「学校教育の一環として行われ、児童側にこれを食べない自由が事実上なく・・・・・・」
このように、給食は、強制ではないにしても、事実上強制されているに等しいものです。
ですから、昆虫食に対して批判的な保護者が、給食に出されることに対して不安を感じることについては十分に理解できます。
「嫌ならたべなければいい。」で、すまされる?
「嫌なら食べなければいい。」という意見もあります。
しかし、食べない自由が事実上ない給食においては難しいでしょう。
アレルギーの児童・生徒に弁当を持参させていることや、宗教上の理由から弁当持参を認めていることと同様に、昆虫食を不安に思う人に対しては弁当持参を認めるということも1つの解決策かもしれません。
しかし、そんな簡単な問題でもないように思います。これを認めれば、給食を食べないことを認めるようなもので、学校給食を学校教育の一環としてきた学校側が認めるとも思えないからです。
学校給食を学校教育の一環と捉えて続けるのであれば、不安を感じている人がいる、安全性に疑義ある状況においては、給食に出すのは慎重であるべきではないかと思います。
なお、前述の裁判例では続いて次のように述べています。
「学校教育の一環として行われ、児童側にこれを食べない自由が事実上なく、献立についても選択の余地はなく、調理も学校側に全面的に委ねているという学校給食の特徴や、学校給食が直接体内に摂取するものであり、何らかの瑕疵等があれば直ちに生命・身体へ影響を与える可能性があること、また、学校給食を喫食する児童が、抵抗力の弱い若年者であることなどからすれば、学校給食について、児童が何らかの危険の発生を甘受すべきとする余地はなく、学校給食には、極めて高度な安全性が求められているというべき。」
給食に変革が求められているのではないか?
私は、日本の給食の在り方が変わるべき時期にあるように思います。価値観の多様性が認められるようになった現代において、全員一律の建前をとる学校給食の継続は難しいと思います。
学校においても各々が食べたい食事を食べられる環境を整えることが求められているのではないでしょうか。