コラム

内密出産から思うこと

物事は一面からは判断できず、多面的な見方が求められます。弁護士の仕事もそうで、対立当事者間の紛争においては、依頼者からみた景色と相手方から見た景色は同じ紛争という山を見ても見え方が変わってきます。
社会問題も同様です。見方が変われば、何が一体正義なのかわからないことだらけです。

2022年2月4日に熊本市の慈恵病院で国内初の内密出産が実施されたとの報道がありました。この問題も大変難しい問題です。

「内密出産」というのは、望まない妊娠をした女性の名前を記載せずに出生届を出すことをいうようです。

赤ちゃんが生まれたときは、生まれた日から14日以内に出生地または本籍地あるいは届出人の所在地の区市町村に父親か母親が出生届を提出しなければなりません。
出生届には、医師の証明が必要とされている出生証明書欄があり、ここに母親の氏名を記載する欄があります。内密出産は、母親氏名欄に母親の氏名を記載しないで届け出るというものです。

内密出産の目的は、望まない妊娠をした女性が、出産の事実を隠すために医師や助産師が立ち会わない危険な出産をすることがあることから、これを避け、子どもの命を守ることにあるとされています。

報道によると、政府は内密出産の違法性について「児童福祉法や医師法など厚生労働省の所管法令には直ちに違反と考えられる点はない」とする一方、刑法上の犯罪に当たるかどうかは「捜査機関により収集された証拠に基づき個別に判断されるべきだ」としています。

戸籍制度をはじめとする法的秩序を維持する観点からすると政府の見解にも理由はあります。また、自分の出自を知ることは、子どもの権利条約にも掲げられている重要な権利です(子どもの権利条約第7条1項には「児童は、出生の後登録される。児童は、出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。」とあります。)。安易に内密出産を認めれば、生まれてくる子が自分の出自を知ることが困難になるという問題もあります。

しかし、法的秩序維持にしても、出自を知る権利にしても、人として生まれた以上誰もが幸福に生きる権利を有しているという考えが前提にあるはずです。内密出産を否定したがために救える命が救えなかったというのは本末転倒なような気がします。
そう考えると、出産を内密にしようとして危険な出産をして母子が命を落とす、せっかく生まれてきた子が殺されるといった悲劇が起こらないようにするために内密出産に踏み切った病院にも正義があります。

もっとも、バランスが必要です。戸籍制度をはじめとする法的秩序維持や生まれてきた子が母親の希望で出自を知ることが出来なくなるという事態が生じて良いのかという問題はクリアしていかなければなりません。
無秩序に、安易に内密出産がなされないように、ルールを決め内密出産を制度化していくことが求められていると思います。

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